家を買うくらいのお金はすぐに入ってくる
思っていることが先で実現があと、という教えに基づき宝くじで家を買うことを意図した私ではあるが、宝くじに頼るということのスピリチュアル的意味も今一度考えておくべきだと思った。
というのもかつてビートたけしだったか他の誰かだったか、とにかく成功した有名人が「俺は宝くじを買わない、運をそんなことに使わない」と言っていて、それはスピリチュアル(見えない世界)的に見て理にかなっていることなのか否か、私はずっと答えが出なかったのだ。
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宝くじを買っても良いけど
それで改めてミナミAアシュタール本を紐解くと、本の中では宝くじは否定されてはいない。
しかしつらつらとミナミAアシュタールのブログを見ていたら、思いがけない視点があった。
宝くじの中でも特に高額のものは当選番号を操作することが可能になっていて、当たりくじを任意に決めることができるというのだ。
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所得税もかからない、出所も問われない大金
詳しくはミナミAアシュタールのブログやそこからのリンクなどをご参照ください。
真偽のほどは確かめようもないけれど、そう考えると当選番号はみんなの見ている前で決まるとはいえ、数字を背負った魚やひよこが偶然並んだ順番で決まるとかではなく、人間が作った機械で決めているのだ。
任意の数を出すよう操作することは可能ではないか。
そしてひとたび当選すれば1億とか10億とかを、所得税無しでまるまるもらえる。
税金については宝くじの収益から先に納税されているとはいえ、取りやすいところから取るはずの国税局が追ってこないという夢のようなシンプルなシステム。
セレブであればあるほど嬉しいシステムがここにある。
そして当選金額はいつのまにか大きくなりすぎていて、よく考えたらセレブじゃないと扱えない金額だ。
システムも金額も、宝くじはすでにセレブでいる側のためのものだったのか。
宝くじの売れ残りはどうなっているのか
いったん180度ひっくり返って見てみると何もかも反対側で辻褄が合ってしまう。
そういえば私は、宝くじの売れ残りに当たりくじが出たらそれはどうなるんだろうと疑問に思ったことがあった。
宝くじ売り場に大勢の人が押し寄せる様は季節の風物詩として定期的に報道されているが、買いに行ったのに宝くじが売り切れで買えなかったからどうにかしてくれ、というような話はあまり聞いたことがない。
ということは、余るほど刷っているわけで、理論上、売れ残りの中にも当たりくじが出るはずである。
だったらその当たりくじは誰がどう扱うのだろうか?
どうとでもできるのではないか?
宝くじを敬遠させる工作?
というわけで宝くじ自体にすっかり興醒めしてしまった私は、宝くじに頼ることをやめた。
深読みすればもしかしてこうした情報も、宝くじで一攫千金を狙うライバルを減らすための工作だったと言えるのかもしれない?!!
でも考えるとモヤモヤすることからすっぱり離れてすっきりしたことはひとつ確かなことで、これからは宝くじに関して何も迷わずにすむようになって、まさにこれこそが値千金である。