仕返しや見返しは無効
ミナミAアシュタール本「パラレルワールド」を読み返してまた考えました。
例えばはらわたが煮えくり返るような嫌な目にあったとしたら、相手をギャフンと言わせてやりたいと思ったり、
今に見ておれこっちはもっと素晴らしく幸せになってやると誓いたくなったり、
といった反応をしてきたものですが、そうした仕返しや見返しも過去への囚われに過ぎないのだなあと気付くのです。
ムカつくのは大いに結構。でも次の瞬間にはもう楽しみに包まれている自分でいて良いのです。
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完璧な書類でなくても良い
あと私は、日常生活でのルーティンとか出来事とかも破綻ないストーリーのようであったら良いと思っているところがあって、何か破綻しているところがあったらやり直してから再度やりたいと思うことがしばしばなのですが、そういうのもきっと徒労なのでしょう。
例えばペンで記す日記でさえ言い回しにこだわって修正テープで書き換えたりしていたこともある。
自分しか見ないし、自分でもほとんど読み返すことはないし、最近では5年も保管せず捨ててしまうくらいなのに(でも日記については趣味で遊びなのでこれで良し)。
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どんどん次を味わう
パラレルワールドは発生したらもう消えない。
その続きに進むか、それが嫌なら別のパラレルワールドを作るかのどちらかだけになる。
人生の保留というのもできそうでいてできなくて、行動を起こしていなくてもあれこれ考えた選択肢は潜在意識に入っていて次の出来事を呼んできてしまう。
これまでの私は持ち物も出来事も、きれいにして残したいという意識でいたけれど、それもほどほどで良いのかもしれない。
こだわりも個性だから、ある程度気の済むまでやればよいし、でも「こんな感じで良いかな」と思えたらもう手放してしまって、顧みないままにしていこうと思う。
自分の言動を自分であとから突っ込み、ダメ出しもしてきたけれど、人にどう思われるかはコントロールしきれないことだから放っておけば良い。
あと、他人の言動もすごく気になっていたけれど、例えばニュース番組に出るような人なのに辿々しくしゃべってりすると「テレビに出てる人がこの程度で良いの?!」ってイライラしていたけれど、それって自分にはどうでも良いことだから。
何か嫌なものを見たり、失敗したと思うようなことがあったら、それをただしたりやり直したりするよりは別の新たなことに目を向けるような感じ。
どんどん次へ目を向ける感じは、私には180度転換した考え方なので、まだ慣れませんが新鮮です。