望むものはもう何もない
今の自分はかつて望んだように、毎日通勤通学をしなくても良い暮らし方をしていて、私の心からの望みがすでに叶った状態だ。
それで時々、今後何を望むかを改めて考えてみる際もいろいろ満足しきっているので、「あの美味しかった蒸しパンをまた食べたい」とか、すぐ叶うことしか思いつかない。
しかし先日、「羨ましいこと」「羨ましい人」についてふと考えてみたら、強烈な感情が私の中にあった。
まだまだ私にも欲があったということで、これは良いことである。
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絶妙な人が羨ましい
私は、本を出していたり、セミナーをしていたり、著名なブロガー、インスタグラマーだったりといった、もう出来上がっている有名な人、顔の知られているような人というのはもうあんまり羨ましくない。
どこか無理している部分があるのではないか、その人の家族や秘書はしんどい思いをしているのではないだろうか、とか穿った見方をしてしまう。
私が羨ましく思う人は掘り出し物のような人なのである。
生き方、暮らし方に「その手があったか」と感じさせる状況が羨ましい。
それはまだ一言で言えない分かりにくい状況であったりするし、羨ましがられたご本人がハッピーに大満足しているのかどうかはわからない。
ただ横から見ている私には羨ましいのである。
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羨ましがるのは恥ずかしい
そしてまたおもしろいのが、何が羨ましいのかを具体的にいうことがちょっと恥ずかしいという気持ちがすることである。
羨ましがるのは恥ずかしいことなのだろうか?
実際に幼少時は、他人を羨んでいたら全否定されて注意されることもあった。
とにかく今回、欲しいものより羨ましいことを考えた時の、自分の強烈な感情に驚いたのである。