後出しジャンケン?
むかし断捨離が登場したころ、断捨離とは一体どういうことなのだろうかとやましたひでこ氏の本を読んだけど、当時の本はブログのつぎはぎで構成され、断片的で、よく分からなかった。
詳しく知りたければセミナーを受けてくださいということだったのだろう。
今回読んだこの本は、当時の自分が知りたかったようなことがうまくまとまっていると感じた。
今の自分が読んで答え合わせのように感じたので、もしかしたら私も少しは成長してきたかもしれない。
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あらゆる物に情報が張り付いている
人が物を捨てられないのは、そこに情報が張り付いているから。
物の整理の奥にある、情報や考え方の整理こそしなくてはならない。
良いものだから、
高かったから、
誰かからもらったから、
子どもが幼い頃に作ったから、
もう手に入らないものだから、
非常時のために備えておかないといけないから、
などなど。
よっぽど壊れているとか、
カビだらけだとか、
悪臭を放っているとか、
明らかな捨てる理由があれば捨てることは簡単だが、
そうではない、まだ使えそうな、でも自分にはもう不要なものという、気づきにくいもの、捨てにくいものこそ捨てないと、ものがあり過ぎる不幸に溺れてしまう現代人なのである。
ほんと、私たちは物に囲まれていると思っていたら、実は情報に囲まれていたのだった。
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断捨離を断捨離
「断捨離」という言葉は漢字の意味や響きが強く、よく知らない人には「断捨離する」と聞けば「思い切ってばっさり捨てること」というイメージをおのずともたらすのではないかと思う。
しかし提唱者のやましたひでこ氏は、断捨離という言葉が単に捨てることや片付け術ではないと主張してよく怒るが、では断捨離とは何かと問われれば「学生の頃ヨガを学んでいて、、」から始まって、一言で言えていないのだから困る。
これとは全く関係ないことではあるが、かつて奥津典子氏のブログをチラッと読んだ時に似たようなことを思った。
良い面もあるが難しい面もあるマクロビオティックについて、マクロビオティックとは、ということをさまざまな角度からいくつも列挙して述べているのだが、あらゆるすてきなことがマクロビオティックであり、すてきじゃないことはマクロビオティックではない、と都合良く言っているだけに私には思えた。
「すてき」という言葉は「誰もがプラスに思うようなこと」とかに置き換えてもらっても良い。
こんな風に、断捨離も最初に定義されておらず後出しジャンケンでは、都合の良い定義は断捨離で、都合のよろしくないものは断捨離ではないと、適宜いくらでも都合良く体裁を整えることができるのではないかと思った。
うーむ、、、
私は彼らが羨ましいのだろうか?