自分の歴史的一歩
生きているうちにできる気がしなかった、私の永らくの案件が、今年の、上半期のうちについに片付きました。
ちなみに「床置き」と私が名づけているものは、収納に入れる気がしないけれど、捨てることもできずに、部屋の床の上に置いているガラクタのことです。
書類もあれば、ガラス製品、金属製品、小型家電などもあります。
どこかの収納に押し込めば床はすっきりさせることはできるし、そうしていた時期もあるけれど、やがてそれも気持ちが悪くなるので、時々の整理整頓で炙り出されて、白日の元に晒すのですが、その先の「すっぱり捨てる」に行き着かないのです。
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「今度こそできるかも」の高揚
なぜ今回はやり遂げられたのだろう?
きっかけとしては、わずかに残していた結婚式の写真をすべて捨てたことがはずみになったのだろうか?
それと、今回たまたま、ほかに自分の裁量ではできない懸案事項が発生して心が重く、せめて部屋のガラクタくらいは自分で片付けられるのでは、懸案事項が早く片付くよう自分のできることからやっていこうか、と思えたのかもしれない。
今年は捨て活強化月間を5月、6月と長めにとって、それがプレッシャーにもならず、焦りもなく、淡々と、あたり前のように捨てることができた。
そしてやがて「本当に床置きすべて無くせるのかも?」という高揚感すら生まれた。
「今度こそできるかも」は「やっぱりできなかった」の前振りになりがちではあるが、そこをパラレルワールドをシフトさせて、
「今度こそできそう」→「ほらね、やっぱりうまくいった」という現実も作ることが出来たのである。
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夏至前にできた
実のところ、6月のうちにといっても、夏至が近いと気付いてからは「どうせなら夏至前に捨ててしまおう」とはずみがついて、そのように実行した。
6月のうちに、といってると、6月30日にはじたばたして月が変わって、「気学的には7月6日まで6月だから」と自分を甘やかし、あっという間に7月の一週間が過ぎていたかもしれない。
ちょっとだけ早めに、が今回は功を奏した。
とにかく長年抱えてきたことを本当に手放せて、今年の夏はのびのび過ごせそうだ。