泣けなくて正解
川又氏の本で、親や親友の葬式で悲しいと思えなくて困った、仕方なく泣き真似をしたこともあったという話があった。
インタビュアーのruru氏も似たような思いをしたことがあるといっていたが、うなずける人は実は多いのではないだろうか?
なぜわざわざ葬式の場で悲しまないといけないのだろう。
親でも生前仲が悪かった場合はもちろんのこと、仲が良かったとしても、人前で派手に泣かないと冷たい人と言われそう〜♪
若くして突然の事故死などであればびっくりしてしまうけれど、長く病気療養しての最後なら充分わかっていたことではないか。
周囲にわかりやすく悲しんでいないと恥ずかしいように思わされている、それが良くない。
ちょっと前に有名人がついに亡くなった時も、もともと結構なお年で、しかも随分前に倒れたと報じられてその時点でいよいよかという感じだったから、一般人の感覚からすれば逆にまだ生きていらしたのと思うくらいだ。
しかしこのことでインタビューを受けた人は「惜しい人を亡くしました」というしかないのがちょっと滑稽に思えた。
みんな地球人をやっている。
ご長寿で亡くなった方を送り出すに相応しいハッピーな言葉、考え方が広く普及しないものだろうか。
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いつかみんな没するのに
それと、亡くなった人を悪くいうことは絶対いけないとされているけれど、その前提も私は疑問に思うことがある。
亡くなっていようとも、やっぱりあいつは酷いことをしたと言うべき時はあるんじゃないだろうか。
亡くなった人は反論できないけれど、残された方もいずれは亡くなるのだから対等ではないだろうか。
幸い実生活でそういう場面はないが、小説を読んだりするだけで何だか理不尽な思いを持ってしまう。