葬式に行かない
そういえば私は直近で二度ほど、当然行くべき葬式に行かなかったことがある。
それでどうだったかというと、別にどうもないのである。
わざわざうちに来て私の腕を引っ張って連れて行こうとするような暇人はいない。
もともと付き合いがほとんど途絶えた関係であったから相手側もそれを受け入れるしかないだろうが、逆に「普段は付き合いがなくてもこういう時はいくべきだ」という判断をする人も多いだろう。
相手側も普通はそれを期待している。
何が何でも引っ張って連れてくるぞとまでは考えていないが、向こうからやって来るのは当然だと思っているのだ。
つまり、仕方なく行く場合であっても、行ったとすれば自分の意思で決めたことなのだ。
でも誰でも、他の誰かの期待通りに行動しなくても良いのである。
自分が行きたいのであれば行き、自分が行きたくないのであれば行かないだけ。
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理由もいらない
行くべき葬式に行かないのは、何か重大な理由が求められるのかも知れないが、逆にこちらが言い訳を考えさせられること自体もごめんである。
いつか何かの本で読んだある人のおばさんは、
「あなたもご存知でしょう、私は出掛けないのですよ」
と一言いうだけで、ファミリーの集まりの一切を辞退して済んでいる。
「あの人はそういう人だ」と本音の自分を早めにわかってもらうことに尽きる。
またそういう人が一人でもいれば、「私もそうしたい」と自分の本音に気付く人が他にも出てくるかもしれない。
自分の素直な疑問を大切にする
冠婚葬祭に限らず他のことでも、もし自分が居づらさを感じたら「このことで何で怒られないといけないの?」「行く必要を感じませんが、それが何か?」という感じで淡々と応対し、早々にその場を退去するようにしたいものだ。
行きたいところに行くよりも、行きたくないところに行かないということは重要な心がけだ。
そういえばいつかの歯医者も「もう必要を感じない」といって次の予約を断って必死で逃げてきたなあ。