奇妙な符牒
私が最近ふと気付いたことは、「捨てたいけど、今じゃない」と元の場所にガラクタを戻しているのは、そっくりそのまま「いずれは目覚めるべきだけれど、今じゃない」と言っているのと同じ構造だなあということだ。
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歴史的散らかり
床にものを置くのは私の歴史的な散らかし方だ。
収納に入れるほど大事ではないから、外に出す。床に置く。
振り返ってみれば自分のスペースを持って以来ずっとそうしてきたかもしれない。
大して重要ではないとわかっているのに、処理を先延ばしして、また次の転居先へ運ぶのだ。
ガラクタの中身はそれなりに変化しているが、常に床に何か言い訳したくなるものがあるのは変わらないのだ。
このブログ内だけでも床置きについて同じことを何度も言及している気がする。
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希望の月、希望の年
今回私に生じた「この8月のうちに」という思いは一定のモードとなって、まだ私には効き目がある。
特に今回は、まだ使えるものを結構捨てている。
無理に活用せず、しゃぶり尽くさずに捨ててしまうのだ。
先日手放した書籍も、よく考えたら手元に来てからまだ1年も経っていないものだったが、これは私にとっては快挙なのである。
また、一度大物を捨てた後も満足せず、別の大物に取り組んでいるのも今回の特徴だ。
これまでの私は、大物(物理的に大きなものの場合もあれば、所有してきた期間が長期に渡る場合もある)を捨てたらちょっと休憩して、一定期間時間を置く傾向があった。
2025年はまだ三分の一残っている。